映画を見た帰り道、“渡せる側の自分”に気づいた話

5.共鳴する生き方

昨日、ふらっと映画館に入りました。
ただの娯楽のつもりで見に行ったはずなのに、
映画館を出た瞬間、胸の奥でひとつの思考がくるっと回転したのです。

その感覚が、今もまだあたたかく残っています。

ただ映画を観ただけのはずなのに

ネタバレの可能性があるので、内容はここでは詳しく書けないけれど、
“人生の折り返し地点にいる二人”の物語でした。

映画を見終わってから、私は心の中でこうつぶやいていました。
「私も困っている人に、お金を渡せる側になりたいな」

そう思った自分に、私が一番驚きました。

この思考…今までの私なら、絶対に出てこなかった

できる/できないとか
自己犠牲とか
そんな感覚でもなくて。

ただ――
“あ、そんな自分もいいかもしれない”
と、ふわっと思っただけ。

でも、その瞬間の私は、なぜか少し誇らしくもありました。
なんとなく、新しい芽が出てきた感じがしたのです。

このブログを書いていて、ふと思い出したこと

文章を書きながら、急に思い出したことがあります。

「あれ?私、もう困っている人にお金を渡したことあったわ!」

そう思った瞬間、少し笑ってしまいました。
忘れていたなんて不思議だけれど…
でも、“あの時の私”は確かに存在していたのです。

返してもらうことが目的じゃなく、
“今、その人が困っているなら助けたい”
――その思いだけで動いていた自分がいました。

そして今ようやく、
“記憶の層がつながった”気がしています。
思い出すために、私は書いているのかもしれません。

あの時すでに、“芽”は生まれていたのかもしれない

返ってきていないお金は確かにある。
けっこうな金額です。

でも、それはもういいのかもしれません。

あの時、私は“役に立ちたい”と思っていた。
その小さな“選択”が今もどこかに息づいているのだとしたら、
それだけで、もう十分な気がするのです。

おわりに:その芽を、摘まずに育ててみたい

映画を観たことで、私は
「受け取る人生」から「渡せる人生」へ
視点がすこし変わった気がします。

まだ実現できるかなんてわからない。
でも、その可能性に気づけたことそのものが
私にとっての“ギフト”でした。

あなたの心の中にも、
そっと芽吹いている小さな想いはありませんか?
摘み取らずに、しばらくのあいだ
陽の光にあててみるのも、いいのかもしれませんね。

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