何もしていないのに、満ちていた朝がありました。
その日はボイド。世界がいったん“空(くう)”に戻ったみたいに静かで、音のないゆらぎだけがありました。
私はその静けさの中でふと気づきました。「私、カンペキなんだ」と。
誰かに認められたからではなく、ただ“いる”ことが十分だと、からだの奥で分かったのです。
──そしてさらに、「ボイドの朝に起きた、私この顔で、この平凡で生まれてきたことがカンペキだったんだ!」という気づきが、やさしく私の全身にひろがっていきました。
ボイドが教えてくれた「空(くう)」という優しさ
ボイドの朝は、予定も評価も、うまくやろうとする力みも、すべてが一度ほどけます。
空になることは、空っぽになることじゃなく、「余白を取り戻す」ことでした。
余白があると、呼吸は深くなり、思考のスピードが落ち、心の表面がなめらかになります。
すると、自分の声が聴こえます。
「大丈夫。もう十分、ここにいるだけで」——そうやって私は、がんばる私から、ただ在る私へとチャンネルを切り替えました。
空になると、見えてくる景色も変わります。
朝の光のやわらかさ、湯気の立つカップ、道ばたの小さな花。
どれも「欠けていない」世界の断片です。
私の中の「足りない」は、世界の「十分」と出会って、すっと溶けていきました。
カンペキとは「欠けがない」ことではなく「流れている」こと
あの日わかったのは、“完璧”は静止画ではないということです。
止まってキズのない状態を保つことではなく、流れ続けながら調和していること。
海はいつも波立ちます。ときに荒れ、ときに凪いで、それでも海は海のまま。
私も同じでした。揺れる日も、迷う日もある。
それでも、流れを止めなければ、私はずっと私のままカンペキなのだと。
だから私は、欠けを治すよりも、流れをよくすることを選びます。
深呼吸をひとつ、笑顔をひとつ、ありがとうをひとつ。
小さな循環を始めると、心の中の水路がゆっくり開き、
澱んでいた感情もどこかへ運ばれていきます。
「波」をもう一度流す装置としての私
私が好きな考え方に、「世界も人も、波でできている」というものがあります。
言葉にも波、笑顔にも波、沈黙にも波。
私はずっと、誰かの期待に合わせる波を生きてきたのかもしれません。
でも今は、私の“幸せの波”を源泉にして、世界へひとしずくを放つ練習をしています。
むずかしいことはしません。
朝の一言をやさしく流す。出会った人に笑顔で挨拶する。心が動いた瞬間を言葉にする。
それだけで十分でした。小さな波は小さな波を呼び、
気づけば部屋の空気が、日々の選択が、少しずつ軽くなっていきます。
「お金」よりも先に、信用というあたたかさを
私は今、お金を得るための発信を手放しています。
代わりに、信用——つまり「あの人のそばにいると心地いい」という温度を大切にしたい。
笑顔の言葉を流すことは、誰かの一日にそっと灯りをともすこと。
その小さな灯りがつながって、やがて街になる。
そんな風に、世界はやさしく変わっていくのだと思います。
信用は数字ではなく、「また会いたい」という気持ちの往復。
私はその往復を、今日も静かに重ねていきます。
あなたも、もうカンペキだった
もし今、少しだけ苦しくて、何かを足さなきゃと焦っているなら、
ボイドの朝を思い出してみてください。
何も足さず、ただ呼吸して、笑ってみる。
それだけで、波はゆっくり動き出します。
あなたは、もうカンペキです。
欠けがないからではなく、ちゃんと流れているから。
止まる日があっても大丈夫。
空を経て、また流れ出す。
私たちは何度でも、やさしく生まれ直せます。
今日のしめくくりに。
読んでくれたあなたの心が、ほんの少しでも軽くなっていますように。
ここから先は、私の幸せの波を、あなたのやさしさの波と混ぜていく時間。
笑って、深呼吸して、また会いましょう。

